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私の毒を吸うとくれ vol.4/石原かおり

そのポジションは損なのか? 得なのか?

今回も40代のバツイチ女が大人の女性の生態を晒しますので、もしピンとくる部分があるようでしたら、何かのヒントにしていただけるととても嬉しいです。

みなさんのお店のスタッフ間の人間関係は良好でしょうか? 『嫌われる勇気』(岸見一郎・古賀史健著/ダイヤモンド社刊)でたくさんの人をうなずかせたアルフレッド・アドラーの言葉。

すべての悩みは対人関係の課題である。仙人のような世捨て人でさえも、実は他人の目を気にしているのだ。(『嫌われる勇気』より抜粋)

社長から見たときに、自社のスタッフが思ったように成長しないのは……、思ったような反応をしないのは……、思っているように楽しそうに仕事をしないのは……。もしかしたら社長には言えない悩みや対人関係のストレスがあるのかも。

職場では「これは声を上げねば!」というような明らかにどちらかが悪く、どちらかが正しいといった“事件”はそうそう起きるものではなく、「まあ、言うても仕方ないし」「社長や上司に言うほどでもないし」ということの方が圧倒的に多いような気がするが、どうだろうか。

そしてその先どうなるか。大人な組織であれば、自己解決を繰り返し、気になっていることに蓋をして済んだことにする。しかし、実際には気が済んでいないので、日々悶々と小さなストレスが積み重なっていく。少しお子さまな組織だと、仲間とネガティブな情報を共有し、少し大げさに表現してみたり、言葉の齟齬から1人悪者君もしくは悪者ちゃんが誕生する。

お子さまな組織でありがちなのは、1人悪者がいることでその他の人間の団結力が高まるという傾向。その悪者ちゃんは社長だったりすることもある。不安な気持ちが同じ感覚を共有して安心したいと思わせるのだろう。

小学校のときのいじめを思い出す。私の時代? 地域? では、クラスでいじめられるターゲットが入れ替え制だった。昨日まで仲良くしていた子たちが急に無視をする。昨日まで無視されていたのに、今日は好意的に遊びに誘われる。いじめがなくなったのではなく、「旬」が過ぎただけで別のターゲットにいじめの対象が移っている。そして、いじめられなくなった子はいじめるチームに入る子もいれば、「やれやれ」と自分のポジションで安心して小学生ライフを取り戻す子もいる。

当時はいじめていたチームの子たちが100%悪者に見えていたけど、大人になった今思うに、何らかの事情があったのかもしれない。満たされない何かを発散させるように。いじめっ子だった彼や彼女たちは、今幸せに生きているだろうか。

職場の“お子さま組織”の現実と重なるところがある。話は今に生きる40代の女にワープするが、既婚者で子育て中の友達に「あんたはいいよねー」と言われることがある。こちらからすると「何をおっしゃる! あんたもいいよねー」である。

少し前に、「独身税」について世間が騒いでいる時のことを思い出した。とある市で開かれた社会保障の将来的な税負担に関する意見交換会で、「結婚をし、子どもを育てると生活水準が下がるから独身者により多くの負担をお願いできないか?」という市民からの一意見が切り取られ、独身者は「独身ハラスメントだ!」と騒いだ。子どもを産んでいない独身の私からすると、やはりもやっとした気持ちにはなった。

また、昨今の働くママ、子育てをするママこそ素晴らしいふうの流れ。少子高齢化で労働人口が少なくなっているから、できるだけ労働力を確保するために、時間がとりづらい子育て中のママにも働く時間をさらに確保してもらい、助けてもらっているのは分かる。働くママもママでない女性も、男性も、働く全ての人が助け合って、仕事は、社会は回っている。

けど、それぞれが自分の立場の権利だけにフォーカスしたときに、いざこざや不平不満が生まれる。私は子どもがいないから子どもを育てながら仕事をする大変さも喜びも知らない。その立場にならないと分からないことはたくさんあって、自分の価値観はオールマイティーではない。誰しも偏りはあるように思う。「普通〇〇だよね」の“普通”はその人にとっての“普通”であり、万人に“普通”でないこともある。

社長、上司、同僚、家族…。本来みんなで助け合っていくもの。どんな立場でも犠牲にしていることはあり、誰が得でも損でもないんじゃないかなと思った話。自分以外の価値観を意識してみることで、もっと職場や社会や家庭は平和で心地のよい場所になるのかも。

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