若手研修をしていると、ふと立ち止まって考えたくなる場面がある。
本当に「理解させる」ことができているのだろうか。
それとも、「やり方をなぞらせている」だけになっていないだろうか。
教える側の責任
ビジネスマナーやコミュニケーションの研修では、
多くの場合“型”を教える。
挨拶の仕方、言葉遣い、報告の順序、
そして「相手の話を聞くときはうなずく」といった基本動作。
どれも重要で、知らなければ困るものばかり。
では、その型を教えたあと、どこまで確認しているだろうか。
「守破離」
守…基本(型)を徹底して守り
破…応用、改善をして型を破り
離…独自の流儀を確立して離脱する
「守」はただやみくもに覚えさせることではなく、
なぜ、それが必要なのか、
どう使うのかという本質もセットで伝える責任があるように思う。
見せ方が目的化している
「うなずいていますか?」
それとも、
「相手の話を理解していますか?」
最近の研修で、こんな場面があった。
しっかりとこちらを見てよくうなづいている受講者がいらっしゃった。
好感を持った私は、質問を投げかけてみた。
すると、
「あ、聞いてませんでした。もう一度お願いします」
このとき、何が起きているのだろうか。
うなずくことはできている。
では、「聞く」という行為はできているのか。
「学校で人の目を見てうなずきながら聞くと習ったので」という。
そもそも、うなずくことの目的は何だったのか。
動作を教えたかったのだろうか。
それとも、相手の話を理解し、
関心を示す姿勢を身につけてほしかったのだろうか。
さっきまで聴く姿勢が良く、話しやすいと思っていた受講者だったのが、
その後、そのうなずきが気になって集中できなくなった。
型、基本をどう伝えるか
型を教えること自体は必要。
むしろ、最初の一歩としては欠かせない。
だけど、その型は「何のためのものなのか」
という問いとセットで伝えられているだろうか。
受講者は、なぜそれをやるのか説明できるだろうか。
その行動によって、相手にどんな影響があるのか想像できているだろうか。
そして、実際に「伝わっている」と言える状態になっているだろうか。
もし、うなずいているのに内容を覚えていないとしたら、
それは「できている」と言ってよいのだろうか。
講師として見るべきは、形だろうか。それとも結果だろうか。
型をなぞることに満足していないか。
本質的な理解に踏み込めているか。
行動の意味まで言語化させているか。
こうした問いを、
自分自身にも、
受講者にも投げかけ続ける必要があるのではないか。
当たり前に思える”型”や”基本”を教える時、
単調になりがち。
ここを丁寧に伝えることの大切さを実感した。
若手は素直に実行する。
だからこそ、その実行が「形だけ」で終わるのか、
「意味のある行動」になるのかは、講師の関わり方次第だ。
私たちは、何を教えているのか。
そして、本当に身についているのか。
その問いを持ち続けること自体が、
研修の質を左右しているのかもしれない。
